大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和45年(行ウ)25号 判決

原告 中村静夫

被告 国

訴訟代理人 大道友彦 外五名

主文

1  被告は原告に対し、金二万円およびこれに対する昭和四五年七月一日より支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金一〇万円およびこれに対する昭和四五年七月一日より支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は岡山地方裁判所および徳島地方裁判所の窃盗事件等に関する確定判決に基づき、昭和四一年一月七日岩国少年刑務所に収容され、その後成年に達したので同四二年九月二七日広島刑務所に移監され、刑期満了日である同四七年三月一一日まで同所において服役していたものである。

2  訴外広島刑務所所長福山繁雄は原告の服役中である同四五年一月一四日原告に対し、マルクス資本論二冊の長期私本の制限冊数外所持の特別許可をした。

3  ところが、同年六月三〇日右広島刑務所所長は原告に対し、右私本の制限冊数外所持の特別許可を取消す旨口頭で通告し、右取消処分は原告が広島刑務所を刑期満了により出所するまで継続された。

4  ところで、原告の法律上の主張において後述するように、そもそも受刑者といえども憲法二一条により表現の自由を保障され、右表現の自由の中には読書の自由も含むと解すべきところ、右自由を制限した監獄法三一条、同法施行規則八六条、法務大臣訓令(昭和四一年一二月一三日矯正甲一三〇七号)一三条、広島刑務所において定める「収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱要綱」の各規定はすべて違憲であるから、右各規定に基づきなした本件私本制限冊数外所持特別許可取消処分は違法である。

5  かりにしからずとするも、原告は資本論を始めとする人文科学系の勉学をするにつき、従来認められていた私本の冊数内でする交換閲読の方法では充分でないため本件特別許可をうけたものであるところ、右取消処分は何ら取消すべき事由がないにもかかわらずなされたものであるから違法である。たとい、原告に被告のいうような看守抗命の事実があつたとしても、右特別許可をうけた目的に鑑みると、これを取消すべき合理的理由とはならないから右取消処分は監獄法三一条一項同法施行規則八六条二項の趣旨に反する違法なものである。

6  ところで、法的知識、素養を備えた刑務行政上の最高責任者である刑務所所長は刑務行政上の処分に関し、適正な処分をなすべき職務上の注意義務があるところ、広島刑務所所長は本来取消すべき事案でないことが明らかであるにもかかわらず、軽々に本件特別許可を取消したものであるから、この点において過失がある。

7  右取消処分により、原告は「資本論」を初めとする人文科学系の勉学をするにつき充分な読書が不可能となつたため、多大な精神的苦痛を被り、右精神的苦痛を慰謝するためには金一〇万円をもつて相当とする。

二  請求原因に対する認否

1  第1項は認める。

2  第2項は認める。

3  第3項は取消処分の日時の点を除き認める。右取消処分の決定は昭和四五年六月三〇日なされたが、原告に右取消処分を告知したのは翌七月一日である。

4  第4項は争う。

5  第5項は争う。

6  第6項は争う。

7  第7項は争う。

三  原告の法律上の主張

(1)  特別権力関係における基本的人権の制限

特定の個人が特別の法律原因に基づき、一定の範囲内において国家又は公共団体に対して特別の従属関係に立つ場合を特別権力関係と名付けるのであり、受刑者が刑務所に拘禁されている関係はまさしくこの特別権力関係に属するものである。他方、日本国憲法の保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、侵すことの出来ない永久の権利として、特別権力関係に立つ場合といえども抽象的、一般的に制限されるものではなく、特別権力関係の本質と目的より個別的、具体的に判断されるべきものである。しかも、その制限は本質と目的とを考慮した上で必要かつ最小限度にとどめられるべきである。

そこで、刑務所所長と受刑者との間の特別権力関係の本質についてみるに、国家が刑罰の執行として受刑者を継続的に拘禁し、これを一般社会から隔離することにあり、またその目的は裁判により確定した刑を社会正義に従つて執行することにある。このような本質と目的に鑑みると基本的人権の制限は刑務所における保安維持と一般社会の不安防止の観点より拘禁あるいは戒護に対する明白かつ現在の危険が必至に予見される場合に狭く限定きれるべきである。

(2)  私本所持の基本的人権における位置づけ

受刑者の場合、私本の所持はいわゆる読書の自由或いは知る自由の前提をなすところのものであるが、これらの自由の中には、このような前提をなすところの条件も当然に包含されているものと考えるのが妥当である。その意味において私本の所持は受刑者という特別権力関係に即応して考察するならばいわゆる読書の自由、知る自由の一環として聞く自由などと共に、憲法二一条一項の表現の自由の一側面として理解すべきである。

健全なる民主主義とは、価値の多元的存在を前提に、民衆の自由なる知識の吸収を保障することにより民衆意思の自由なる表現と自主的な批判とによつて動かされる政治であるからには、受刑者といえども円満なる社会復帰に備えて読む自由、知る自由は最大限に保障せられるべきである。

(3)  監獄法三一条、同法施行規則八六条について

しかるに監獄法三一条二項はこのような重大なる基本的人権に対する制限を、抽象的包括的に命令に委託しているのであるから憲法違反の規定というよりほかはない。従つて、私本所持については、監獄法三一条一項に定めるごとく、あくまで原則的には自由であるべきであり、かりに右規定が憲法三一条に違反するものでないとしても右規則八六条二項の解釈は厳格になされなくてはならない。

(4)  法務大臣訓令(昭和四一年一二月一三日矯正甲一三〇七号)、広島刑務所において定める「収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱い要綱」の違憲、違法性について

しかるに右のごとき趣旨より右訓令を解するに同時に所持できる私本を一律三冊以内に制限していることは何ら合理的な理由が見出せないのであるから、監獄法三一条一項に反する違法のものであると共に、憲法二一条一項、同三一条に反する違憲のものである。また、同じく右刑務所の内規を解するに、累進処遇級という単なる刑務行政上の事由のみにより受刑者という同等の地位にある者に対して一律に制限を付していることに対し何ら合理的理由が見出せないのであるから右と同様違法、違憲のものである。

四  被告の主張

1  広島刑務所長がなした本件制限冊数外私本所持特別許可の取消処分に違法はない。

右刑務所長は収容者に図書を閲読させるについては、監獄法三一条および同法施行規則八六条によるほか「収容者に閲読させる図書新聞紙等取扱規程」(昭和四一年一二月一三日付法務大臣訓令)、右取扱規定に対する運用通達(同年一二月二〇日付矯正局長依命通達)および広島刑務所において定めた「収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱要綱」に基づいて行なつている。これを私本にかぎつてみると、右大臣訓令一三条は個人に同時に所持させることができる私本は三冊以内とし、辞典、経典および学習用図書につき所長が必要と認めるときはその冊数を増加することができる旨規定し、これをうけた右広島刑務所内規では私本の同時所持冊数につき、既決収容者累進処遇級一級三冊以内、二級二冊以内、三、四級各一冊とし(これを制限冊数という)、ただし辞典、経典、学習用図書は合せて三冊以内(これを制限外所持冊数という)、宗教、文芸情操、学習等の修養雑誌は合せて三冊以内を右制限冊数のほかに許可することができる旨定めているのであるが、このなかで辞典類以外の制限冊数外私本所持の許可は刑務所長において受刑者を矯正し改善するうえで必要があると認めるとき受刑者の申出によつて与えられる優遇的な特別許可であつて、その対象は極く限られた者に過ぎない。

そして、昭和四五年一月当時原告の私本所持冊数は制限冊数一冊、制限外所持冊数につき諸般の事情を考慮して、辞典、経典、学習用図書のうち三冊、文教、文芸情報、学習等雑誌三冊計七冊すなわち私本所持について可能な限度まで原告の希望するところによつて閲読できるよう配慮してあつた。ところで、原告の受刑態度は一般の受刑者と比較して度重なる紀律違反を犯し、担当看守の指示にも従わず、不遜反抗的なものであつたが、同月一一日マルクス資本論五巻の長期私本制限冊数外所持について特別許可の申出をなしたので、広島刑務所長は右申出を許可することが原告の矯正教化に役立つことを期待し、同月一四日、原告に対し、「将来行状を慎しみ、施設の処遇方針に従つて善良な受刑者として行動し、優良な行刑成績を持続すること、なお特別許可期間は六か月とし、おおむね二か月毎に図書管理上の中間検査を行ない、あわせて、この特別許可継続の要否を検討すること」を条件としてさらに二冊制限冊数外私本所持を許可したものである。

ところが、原告は同年六月二七日自己の偏見に基づく誤解から、さ細なことで担当看守に言いがかりをつけ執拗に食い下がつて挑発し、大げさに騒いで他の受刑者を煽動するような態度に出たため、独房拘禁に付して事実について取調をなしたが、全く反省の気配がないのみか、ますます反抗的な態度に出るに至つた。

よつて、同月三〇日、六か月の期間満了をまたずに本件特別許可を取消す旨の決定をし、翌七月一日その旨原告に告知するとともに、原告が特別許可によつて制限冊数外として所持していた「資本論(1) 」と「倫理学」の計二冊を回収した。

右のとおり、制限冊数外私本所持許可は刑務所長が受刑者の教育上の必要性から判断して与える自由裁量処分であつて、その取消しも合理的なものである限り、自由になしうるものであるから、広島刑務所長がなした本件特別許可取消処分は何ら違法ではない。

2  かりに、本件特別許可の取消処分が違法であつたとしても原告に損害の発生はない。

(1)  本件特別許可はほかの多数の受刑者には与えられていない優遇的な処遇であるから、広島刑務所長が右特別許可を取消したとしても原告はほかの多数の受刑者と同等な状態に戻るに過ぎない。したがつて、原告はほかの受刑者に比して何らの不利益を受けるものではないから精神的苦痛に伴う損害の発生はないといわなければならない。

(2)  原告は本件取消処分により、昭和四五年七月一日「資本論(1) 」と「倫理学」の二冊を回収されたが、原告が真にこれらの学習書を学ぶ目的を有していたとは認められない。原告が真剣に「資本論」等を勉学する意思を有しておれば私本所持冊数制限の範囲内で十分それが可能であつた。

ところで、原告は本件特別許可取消処分後に約一か月間「資本論(2) 」を所持していた形跡はあるが、その後「資本論」も全く閲裁 判(行政4)読した跡はなく、また、「倫理学」についても、その後閲読したことは全くない。

したがつて、これらの学習書を真に学ぼうとする原告の意思が認められない以上、原告が本件特別許可取消処分により精神的な苦痛を受けるはずがない。

また、かりに、原告主張のように精神的苦痛を受けたとしても、その程度は極めて軽微であつて、慰謝料請求権を生ぜしめる程のものとはいえない。

五  被告の主張に対する原告の反論

1  昭和四五年六月二七日における原告の行動について

右同日午後五時五四分頃、広島刑務所五舎一六房において原告が夕食の際、食事整理係であつたため、他の受刑者より食事を早く済ますべく急いで夕食をとつていたところ、房の外より原告の担当看守である訴外矢野利幸が「おいまだか」と時計を見て食事を急がせたことに端を発したものであり、その後矢野看守に対し「担当さん皆んな済んでいないでしよう」と食事を急がされたことに対し言を発したことが因縁をつけたということになり、因縁をつけたことが即ち看守を誹謗中傷したことになると決めつけられ、さらに余りにも一方的な看守の態度にたまりかねて同人に対して話しても解決が得らるべくもないので願箋を出して事態の真相を明らかにしようとしたことが看守を牽制したことになるとされ、さらに矢野看守の一方的言動に対して「職権濫用だ」と述べたことが看守を挑発したことになるとされるとともに「職権濫用」うんぬんと「暴力をふるうんですか」と言つたことが不穏当な言動になるとされ一方的に決定されたものである。被告は原告に全く反省の気配がない旨主張するが、原告に落度がない以上反省うんぬんは無意味であり、このような場合、自己の正当性を主張するのは当然である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因第1項ないし第3項(但し、本件特別許可取消処 分が原告に告知された日時の点を除く)については当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉によると、本件特別許可取消処分は昭和四五年六月三〇日決定され翌七月一日原告に告知されたことが認められる。

二  そこで、まず、監獄法三一条、同法施行規則八六条、法務大臣訓令(昭和四一年一二月一三日矯正甲一三〇七号)一三条、広島刑務所において定める「収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱要綱」の合憲性の有無について判断する。

何人も、いかなる図書であろうと、それを読む自由を有する。右自由は憲法一九条により保障された思想の自由あるいは同法二一条一項により保障された表現の自由そのものではないけれども、自己の思想形成につき自由でなければならないことから必然的に導き出される思想形成の主要な手段としての基本的人権である。それは思想の自由と密接不可分の関係にあり、右自由が他の基本的人権とともに近代民主主義の確立に重要な役割を果たしていることに思いを至すとき、現時においても厳格に保障しなければならない。それゆえ、右保障は受刑者に対しても当然に及ぶと解すべきであり。したがつて受刑者の図書閲読も本質的には自由であつて刑務所所長の許可によりはじめて閲読できるものではない。ただ、受刑者にあつては、自由刑の執行の場所として国が設置し、国の意思によつて支配され運営されている営造物としての刑務所に収容され、右営造物の管理運営を執る刑務所所長より、右刑の執行の目的の為に必要な範囲において右基本的人権の制限を受けるといいうる。なぜなら、右刑の執行の目的には受刑者を継続して一般社会から隔離するという応報的要素とともに受刑者を将来の社会生活に適合せしめるべく矯正教化するという矯正的要素を含み、さらに刑務所が概して多数の受刑者を収容していること、刑務所内が閉鎖的社会であり、収容者はとかく精神の平衡を失いがちのものであること等を考えあわせると、受刑者の逃亡を防ぐとともに、監獄内の紀律と秩序を維持しなければならないから、右目的遂行のため必要最少限度の制限である以上、これを否定することはできないからである。

監獄法三一条、同法施行規則八六条は右解釈に抵触しない運用がなされる限りその合憲性を認めることができる。そして、同法三一条二項がこのような基本的人権の制限を命令に委任したということが直ちに憲法に違反するといえないことはもちろんである。

そこで、さらに、右法務大臣訓令一三条および広島刑務所において定めた「収容者に閲読させる図書、新聞紙等の取扱要綱」の合憲性について判断する。

右訓令一三条には私本所持に関し、「個人に同時に所持させることができる私本は三冊以内とする。但し、辞典、経典および学習用図書について、所長において必要があると認めるときはその冊数を増加することができる」と規定され、また、広島刑務所の右内規は右訓令の趣旨を受けて、私本の所持冊数につき、「既決収容者のうち、累進処遇一級の者に対し三冊以内、同二級の者に対し二冊以内、同三級および四級の者に対し一冊以内、但し、辞典、経典、学習用図書はあわせて三冊以内、宗教、文芸情操、学習等の修養雑誌はあわせて三冊以内を右制限冊数のほかに許可することができる」と規定していることは被告の主張するとおりである(〈証拠省略〉)。

惟うに、基本的人権保障のたてまえからいえば、受刑者にも読書の自由を充分に保障することが望ましい。しかしながら、右自由が自由刑執行の目的遂行のため必要最小限度の制限を受けるとしてもやむをえないことは既に述べたとおりである。そうすると、右訓令において、私本の同時所持冊数を三冊以内に制限し、広島刑務所の内規において右範囲内で累進処遇級に応じて制限し、ことに三、四級の者に対し一冊に制限したことはいささか冊数において過少にすぎる感がしないわけではないが、右各規定は刑務行政上の一基準を示したもので、刑務行政上の責任者である刑務所所長において、絶対的に拘東されるものでもないこと、右訓令、内規ともに、制限冊数増加の但書規定を有し、刑務所所長の適正な処置を前提にする限り、憲法の理念に適合するべく運用することも可能であること、内規によれば、三、四級受刑者であつても、辞典、経典、学習用図書を含めると合計四冊以内、宗教、文芸情操、学習等の修養雑誌を含めると合計七冊以内の図書雑誌類の閲読が可能であること、刑務所所長の私本冊数制限あるいは制限冊数外所持許可の取消等の処置について、各具体的事案に応じ、各処置の憲法適合性を論じることも可能であること等を合わせ考えると、右訓令、内規の存在そのものを直ちに違憲と判断することは困難である。

ところで、本事案においては広島刑務所所長が原告に対し一旦与えた二冊の制限冊数外私本所持許可を取消したものである。

制限冊数外私本の所持を許可するかどうかについては、刑務所内の秩序維持のみならず受刑者の矯正という特別権力関係設定の目的にてらし、客観的に必要な範囲内で、刑務所所長にある程度の裁量の余地を認めざるを得ず、それが結果的に読書の自由を制限することになるとしても、やむをえないところである。しかしながら、一旦与えた制限冊数外私本所持の許可を取消すような場合には、右取消しは当該受刑者に対し一種の懲罰的効果を与え、これを許可した教育的効果をかえつて害することになりかねないのであるから、制限冊数外所持を許可するかどうかに際する場合に比してより一層慎重に、前示刑務行政の目的にてらしこれを取消すべき合理的事由があるかどうかを判断しなければならない。

四  そこで、本件許可の取消処分に合理的な理由があつたかどうかについて検討する。

〈証拠省略〉、原告本入尋問の結果を綜合すると、原告は広島刑務所第六工場において印刷、差換工として就業し、第五舎二階第一六房に夜間独居拘禁中のところ、昭和四五年六月二七日当時右刑務所第五舎二階の収容者の食事整理係であつたこと、当日夜勤の担当看守は訴外矢野利幸であつたこと、右同日午後五時四五分頃夕食の配膳が終り、原告も右独房において食事を始め約三分経過し、三分の一程を喫食していたところ、右矢野看守が原告に対し、「おい、まだか」と声をかけたため、原告は右矢野看守が食事を急がせているものと解しその後、二、三分ののち、食事を三分の一程残したまま出房したこと、出房後他の独房を見たところ、まだ食事の済んでいない者も見受けられたため、第一七房前付近で巡回中の右矢野に対し、「皆んな食事は済んでいないでしよう」と問いかけたら、「どうしたんなら」というのでさらに「皆んな済んでいないでしよう」と繰りかえしたところ、右矢野は「わしがものをいうたのが気にいらんのか、文句を言わずに仕事をしろ」などと答え一笑に付して去り、原告は廊下の拭き掃除をし階下から食缶を取つて戻り、中央階段を上つた付近に立つていた矢野に対し「今日のことは願箋につけて言わせて貰います」と言つたところ、矢野はこれに対し、「勝手にしろ」と再度一笑に付して去つたこと、原告はその後食器整理作業に従事していたが、再び矢野看守とすれ違うや「これは職権濫用だ」と発言したため、同看守は振り向きざま右手で運搬軍を押していた原告の左肩ロをつかみ振り向かせ、「もう一回言つてみろ」と言つて運搬車を持つていた手を引き放させ舎房の方に原告を押したため、原告が「暴力を振うんですか」ととがめると「何」と言いながら原告の衣類をつかんで数回ゆさぶつたので、原告はさらに「皆んな見てくれ、こうやつて暴力を振うんじや」と叫んで他の収容者の視線を集めようとし、付近の舎房から「おうおう」などという声がかかつたこと、そこで矢野看守は原告を同刑務所保安課に連行したこと、同月二九日原告は広島刑務所第一区長に対し、矢野看守を暴行で告訴する旨申し入れ告訴状認書の許可を受けたが、その際告訴に専念する者には冊数外私本所持の優遇はできない、告訴を取り止めればまた考慮しないでもないと告げられたこと、しかし原告は告訴については徹底して行うと答えたため、一日の限られた自由時間内に告訴状認書と冊数外私本同時所持を必要とする程度の勉学を同時にすることは不可能であり、また当時原告の心情が極めて不安定で勉学に耐え得ない状態にあるなどの考慮から本件特別許可を取消されたこと、その後原告は広島刑務所長から職員を誹謗中傷し挑発する等不穏当な言動をしたとして、同年七月一一日軽屏禁二〇日の懲罰をうけたことがそれぞれ認められ、〈証拠省略〉中右認定に反する部分は措信し難く他に右認定を左右する証拠はない。

右に認定した事実によれば、原告が自己の権利意識にいささか過敏のあまり、矢野看守に対する不満を執拗に繰り返した点において行き過ぎた行為が窺え、多少の懲罰を課せられることはやむを得ないとしても、当初原告が矢野看守から食事を急がされたとして不満を持つたのは無理からぬところであり、また一般に受刑者はややもすると基本的人権を制限されがちであることにも思いを致すならば自己の権利意識に過敏になる場合があるとしてもこれをもつて一概に非難できないし、一方訴外矢野にも刑務所看守として冷静さを欠いた軽卒な態度が見受られ、また広島刑務所所長は原告が矢野看守に対する告訴状作成に専念する以上時間的にも心情的にも勉学に耐えることは不可能な状態にあるとして制限冊数外所持の許可を取消したのであつて、右取消処分は原告の一連の言動についてなされたというよりも、むしろ担当看守に対する告訴を維持するような者については本件特別許可のような優遇措置を続けるべきでないという考慮によつてなされたことを窺うことができる。

そうすると、原告の一連の行為に対し、後に現になされた軽屏禁等の懲罰をもつて臨むことは格別、本来教育的効果を期待してなされた本件特別許可を右行為の故に懲罰的に取消すことは、合理的理由がなく許されないというべきである。前示告訴の維持が本件取消処分の正当な理由となしがたいことはいうまでもないことであり、ほかに本件冊数外私本所持許可の取消につき合理的な理由があることの主張立証はない。

五  以上判断したところによれば、広島刑務所所長が本件冊数外私本所持の許可を取消したことは違法であるところ、右刑務所所長が右違法な処分をしたことは、刑務行政上の監督者として受刑者に対する基本的人権の尊重に対する慎重な配慮を欠いたことに基づくものとして過失を認めざるを得ず、したがつて、被告国はその公務員である広島刑務所所長が違法な公権力の行使としての本件取消処分により原告に対し与えた精神的苦痛を慰謝するに足りる金員を支払うべき義務があるものと解すべきである。

六  精神的損害の程度

〈証拠省略〉ならびに原告本入尋問の結果によれば、原告は昭和四五年一月一四日の冊数外私本所持の許可により、同年六月二七日当時「資本論(1) 」「同(2) 」「新選漢和辞典」「倫理学」「前衛七月号」の計五冊を所持していたが、同年六月三〇日の許可取消し決定により翌七月一日「資本論(1) 」「倫理学」の二冊を回収されたこと、右取消後の制限冊数内で再び資本論(1) を閲読するため手続上の煩瑣をきたしたこと、所持可能冊数が減少したため取消し処分以前より不便を感じたこと、ただ右取消処分後の制限冊数内でも人文科学系の図書閲読が全く不可能になつたわけではないこと、原告はこれらの不便さによる苦痛のみならず、取消処分自体による精神的苦痛をいだいたことがそれぞれ認められる。

被告は原告に人文科学系等の学習書を真に学ぼうとする意思が認められないから、本件特別許可処分の取消により精神的苦痛を受けるはずがなく、かりに受けたとしても極めて軽微であるから慰謝料請求権も発生しないと主張するが、被告の本件取消の理由とするところは、原告に反抗的な態度があつたというにあり、原告に学習書を読む意思がないという理由によるものではないから、右取消の理由に合理性が認められない以上、右取消により原告の法益は侵害されており、また、精神的苦痛は閲読上の不利益のみならず、取消そのものによる非難的要素をも加味してその有無、程度をも考慮すべきであることをも合わせ考えるべきであるから、被告の主張をそのまま採用するわけにはゆかない。

以上認定の諸事情を総合すると、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は金二万円とするのが相当である。

七  結論

よつて、原告の請求は、被告に対し、金二万円および右金員に対する本件取消処分が原告に対し告知された日である昭和四五年七月一日より支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 五十部一夫 川口春利 池田和人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例